法話5法義相続(前半)

永代祠堂経法話507.4.10.

まことに如来の御恩ということをばさたなくして、われもひとも、よしあしということをのみもうしあえり。聖人のおおせには、「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり。そのゆえは、如来の御こころによしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、よきをしりたるにてもあらめ。如来のあしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、あしさをしりたるにてもあらめど、煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」とこそおおせはそうらいしか。

讃題は歎異抄の「後序」です。皆さんようこそお参りくださいました。祠堂経今日で五日目、今日は私にとっては最後の日ですので、讃題を歎異抄の最後の「後序」にしました。またのちほど触れていきたいと思います。毎日くるのが楽しみで参っておりますが、実は今朝、母と大きなケンカをしました。月忌参りにいっても身が入らなくて、人と話しているときはいいのですが、一人で阿弥陀経をあげていると思いに囚われる。今日はいつもより元気ないかな、皆さんの顔を見たら少し気になったかな。


私は跡取り、母もばあちゃんも当寺の跡取りで、親子です。親子というものはケンカをすると辛らつです。嫁さんならお互いにどんなに腹が立っても「これだけはいってはならん」とぎりぎり我慢し抑えることも、私たち親子は言うてしまう。いや「嫁」「親子」というより私自身の問題ですね。母はこの春40年勤めた養護学校寮母の仕事を定年退職になりました。寮母というのは泊りがある、早番は早い、6時半からいない、遅番は遅い、9時に帰る、どこもそうだと思います。父が死んで、私は家事育児法務をしてきた。


母は私と一緒ではっきりものを言う、自分が正しいと思うことを押し付ける。これは「我」というて誰にもあることなんですけれどもね。言い続けるのが悪いところで、いつも同じ言い合いになる。一緒に買い物へ行こうというのでいくと、牛肉やプリキュア5の歯ブラシ一つ買うのも「牛肉は好きでない」とか「歯ブラシはアンパンマンのがあった」とか口やかましいので、うんざりする。それで今までは一緒にいない時間がたくさんあった。ところが定年を迎えてどうですかね、お互い環境が違うようになり、お互い不安を抱えている。伯母の友だちが夫が定年を迎え毎日うちにおって「半年でうつ病になった」ということを聞きましたが、明日はわが身だなぁとつくづく思います。


今朝は7時半に起きた。これまで母は仕事に行っているか、畑に行っているか、9時過ぎまで寝ていて、祖父母のご飯も娘の朝の用意もそして自分の支度も私がしていた。たまにおると、娘のご飯を食べるのが遅いだとか、パンと牛乳だけがどうたらとか、祖父母のご飯に青物(野菜)が少ないだとか、思ったら自分ですればいいのに、立って見とってぐずぐず言うので、ある頃からかもうおるだけで嫌になる。今朝は起きたらもう台所でテレビ見ておった。


はじめは我慢するけれどもケンカというものはどっちかがずっと我慢すればケンカにならん、イライラしている私は娘を「テレビ見とらんと、はよ、通園カバン持ってきてタオルいれんかい!」「ちっちゃいねねをおこらんとこう」。お互いにご飯の準備をして、祖父母のご飯を持っていった母がじいちゃんを「はよ、起きんかいね!こんな時に起きんとってかって、夜中に歩き回ってわ!なんや、またゴミだらけにして!」おこりさくっとる「とっしょりをほんなこというて怒るなら、あんたもうせんでいい、ご飯は私する、娘のためにもよくない」「よーゆうわ、ほんなことぐらいいうても耳遠いし聞こえんわいね!」そんなわけでいつもの言い合いが始まった。ああいうたら、こういう、「親にほんなこというなんて、上向いてつばきや」「おーよういうわ、私はあんたに育ててもらったんでない、ばーちゃんに育ててもらった、あんたいつも寝とったわ」「ほーかほーか、あんたなんか出て行けばいいのに、まみちゃんにでもこの寺にはいってもろうわ」(まみちゃんは嫁にいったのに・・・とか思いながら)「でて行くわいね、あーいじくらしい、だから顔見たくないげんて、おったら争いにしかならん、お父さんでなくてお母さんが死ねばよかったんだ、はよ死ね!」「死なん!」「はよ死ね!」「死なんわ!誰が死ぬか!」五歳の娘の前で目も当てれんようなケンカを今朝もしとったわけです。仏法語るどころでないね。


先ほども共に御文の「末代無智」を拝読しましたね、その中にも出てきた、要の願、第十八願、聞いたことがありますよね、十八 たとい我、仏を得んに、十方衆生、心を至し信楽して我が国に生まれんと欲うて、乃至十念せん。もし生まれずは、正覚を取らじ。これが成就すると歎異抄第一章、弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。よけいわかりにくくなったかもしれん。ところがこの願は「唯除の願」という、「唯五逆と正法を誹謗せんをば除く。」念仏の教えに背く、それからそしる、間違って伝える、そいうことが「正法を誹謗する」こと、そして五逆というのは、父母を殺し、修行僧を殺し、その教団を破壊し、仏を傷つける、「5つの人間としてしてはならない罪」のこと、
この親殺しについて、手にかけてあやめずとも、私みたいに「死ね!」というたり、ここにおるな思ったりするのは、殺すことなんだと、排除することですね。そういうことを思い出していました。親鸞聖人は「親をそしるものをば五逆のものともうすなり」565Pと説いておられます。


そういうことで、娘を送って月忌参りに行って、阿弥陀経あげてね、阿弥陀経というのは、浄土の世界を表現しているのですが、先ほどもあげましたね、浄土というのは「浄土」というものがあるんでなくて、穢土を知らすのだと、仏教が教える「穢土えど」は、人間が生きること(自体)が困難であると教える。生まれたところが穢土である。私たちの生きているところ、浄土は私たちの生きているところではない、そういう先生の言葉をお伝えしておりましたが、全く、地獄・餓鬼・畜生を私が現にただいま生きているのだと、地獄というのは、殺し合い、争う、様ですね。餓鬼というのは、貪るんですね。一つ欲しいものが手に入るとまた欲しいものがある。いつまでたっても満たされない。畜生というのは、家畜ですね。一人では生きれない、主人がいるんです。困ったことがあったら、自分にではないもの(主人)に責任を押し付けながらある。


ケンカしたらいつも「出て行け!」となる。「ああ、こんな争いばかりの家は嫌だ、本当に出て行きたい」とよく思っています。「だけど・・・」いい子ぶるわけでないですが、年老いた祖父母、居候くんのこともあります、そして、門徒のばあちゃんらち、いつも愚痴を聞いてもらっている、月忌参りに行ったら「来たか来たか」て楽しみにしてくれている。そういうことがやっぱりちらつく。でも昨日の話し、歎異抄十三章の言葉「さるべき業縁のもよおせばいかなるふるまいもすべし」、業縁次第ではどんなこともするんだと、業縁というのは、業というのは背負ってきたものという、生まれたところ、育ち、根性、もっとるもの、縁というのはであったもの、親、友だち、事件、聞法会に行くとか、おうてきたこと、そういう存在なんだ。私がここにこなくなったら、「お、とうとう出て行ったか、いつか帰ってくるかな」と思ってください。


余談になりますが、母は「あんたなんか出て行け、まみちゃんにでもこの寺にはいってもろうわ」というのですが、このまみちゃんは私の親友で、この三月に、私の母校であるお坊さんの学校、大谷専修学院の職員と結婚しまして、全寮制で先生も寮生活なので今京都の学院の寮にいます。父が亡くなって精神的にひきこもりのような状態になってしまい、友だちは二人だけ、そのひとりがまみちゃんで、もう10年以上の親友です。富山のお寺のお兄ちゃん二人の末娘。優しい気が利く子で、当寺には法要以外にもころんな行事がありまして、休みには子ども会、それから誕生会、クリスマス会もやりますが、いつも助けてもらって、彼女はニコニコしてお手伝いしてくれた。恩にきせない。私もまみちゃんとする準備が何より楽しかったのだなぁと、昨年、はじめて一人でクリスマスの準備をして泣いた。それからよく遊びに来て、母も娘のようにかわいがっていた。私は「(苗字)」といいますが、「(苗字)まみちゃん」といっていた。ところが、そのまみちゃん、夜中に泣きながら電話してきては、「今からいっていいか」ということが度々おこった。だんだんやせて、言うとることも家族への恨みの言葉がたくさん。「このままではまみちゃんは生きれない」と思った。まみちゃんお父さんが大谷専修学院の先輩であることを知っていたので、金はださんと口だけ出して、学院へ行くことを勧めた。


大谷専修学院というところは、もちろん、お経の勉強もしますが、20歳の私は酒飲んで、授業は寝てばかりいたので、今より10キロ近く太っていました。勉強したことはほとんど覚えていません。ところが全寮制で「生活」をします、相部屋です。もっというたら、「念仏の生活」をします。それは具体的な言い方をすると、南無阿弥陀仏と称える生活をするということではない、「傍らの人と、家族と、一緒にいれないというのはどういうことなのか」「どうしたら、傍らの人と一緒にいれるか」一緒にいる方法を学ぶのでない、「一緒にいるということはどういうことなのか」そういうことを私は学んだし、そこで、彼女が学ぶことによって、家族と共に生きることを、解決策でなく根本から学んで立ち上がれるであろう、という願いを込めたわけです。これはね、命が掛かった賭けでしたが、先日彼女の結婚式に行って、私は賭けに勝ったなと。あまり愚痴らない、人にはいつもニコニコしている彼女が、「ギリギリであること」をずっと気づいていた先生が何人もおられた。うれしかった。


さて、自分のことはどうか、「傍らの人と、家族と、一緒にいれないというのはどういうことなのか」そういうことを私は学んだはずです。しかし、カーっとしたら、それどころでない、娘がやがて、私に「死ね死ね」というようになるかもしれんね。でも理性が利かない、全くもって「さるべき業縁のもよおせばいかなるふるまいもすべし」やね。


聞法会に通っていたときに、一人の妙好人(念仏の教えに生きる人)を紹介された。大聖寺におられた、「西山のおばあちゃん」若い私は「どうしたら信心もらえるかね」とたずねた、そうしたら、「ふふふ」と笑って、「水中に雨を欲しがるかわずかな」とおっしゃったが忘れられません。「念仏者は言葉をうむ」そういうことを佐野さんが言っていた。みなさんも妙好人と呼ばれる方の言葉を聴いたことがありませんか?お会いしたときは末期癌で、やがて浄土へ還られました。


息子さんが「西山○○」さんといいます。西山さんは農業を営んでいて体格のいい、ごつごつとした70歳ぐらいの方ですが、こういうた、「あんたさんたち、うちのばあさんを妙好人だと尊ばれるが、家ではおっとろしいばあさんだった」とね。こういうこともね、念仏の教え聞いて、優しいもんになるのでない、偉くなったり、賢くなるのでもない、どうですかね。ところが、西山さんはその後、大谷専修学院へ行って私の後輩になりまして、在家僧侶です。どうですかね。感慨深いですね、ちょっと休憩します。