祠堂経法話②07.03.12.

みなさんようこそお参りくださいました。10日まで、おとといです。私の寺でも祠堂経をつとめました。実はこの祠堂経のお話をいただきまして、これはここのお寺優先だと、自分の寺の予定をずらして参りました。(笑)
うちの祠堂経はじいちゃんが布教師をさせていただいとって、三月はあちこち忙しいて勤められないということがあったのか、はっきりとはわかりませんが、まあ「大寒」にやっとったわけです。近年は私がするようになって、あんまり寒いと準備も大変やし、参る人も大変やし、三月にするようになったんですが、今年は暖冬でね、雪がほとんど降らなくて喜んでおったらね、うちの祠堂経だけしっかり雪が降りました。一日目は風がビュービュー吹いて、二日目は大雪でした。でもね、必ず参ってくださる人がおいでることを知っていました、約束したわけではないんですけれどもね、誰か必ず参ってくれる、そう自分に言い切って、ストーブをつけて、雪をすかしてもらって、お茶とお菓子を用意して待っておりました。そうしたらね、やっぱり来てくださった、三人でしたけれどもね、本当にうれしかった。これまでは大寒にしていた祠堂経も、こんな善行寺さんのようなでかいことおいでることはないですけれども、誰もおいでないということはなかった、本当に有り難い事です。みな自分のほかの用事を差し置いて参ってくださった。今日もそうに違いないですね、


いつも参ってくれるとうちゃんが、耳がだんだん遠くなってきましたけれども、「お前もここにきてすわらんかい、皆と一緒に聴聞せなだめやぞ」と、私は「札かかんなんだの、帳面つけんなんだの、法礼用意せんなんだの」ごたごた言うて、真面目に座った事がなかった。去年も言うたかもしれんね、

ところが、今年はね、ご縁をいただいた、真宗十派の中に高田派というところがございまして、「私はお東のものではないけれども、お東の先生の話が大好きで、」三重の方なんですが、京都やら、能登やら、追っかけというて、どこでも先生を追っかけていって、くいついて聞法会にかよとる、という人に遇うて、ああ、私も聞法会へいきたい、ということを思った。

自坊に五日間も法要が勤まるということは、毎日聴聞させていただく機会に会えることですね、一日目・二日目は谷内詩朗さん、三日目は従弟、四日目は城端別院の巡回お講、高島静心さんが来られた。(満座は経費削減のために私がしたんですが)うれしくて、ああ、聞法は楽しいなと、ようやく聞けるようになりました。


さて今回は私の最も尊敬する先生であり、友人である、佐野明弘さんの言葉で「人間といういのちの相すがた」ということを共に考えていきたいと思います。人間としてあたりまえに生きているけれども、その与えられたいのちをどのように生きているだろうか、人間としてのいのちの営みはさまざまな相をとって社会に映し出されています。人間を問うた親鸞聖人に遇う、そんな大きなテーマを持ってきました。


今日は先日従弟がいうとったことを共に聴いて行きたいと思います。彼は浄土宗の寺の副住職で、市役所に勤めていたこともあるのですが、辞めて、お寺の仕事をしています。浄土宗には「布教師」の資格がありますが、資格をとってがんばっております。私たちは子どものころから変わらず「みっち」と呼んでいます。