子どもに伝えたいこと

永代経法話をさせていただいていたら、後五分で終わるくらいの時に子ども数名を含む10人以上の人がぞろぞろと本堂に入ってきた。祠堂をあげられるご家族の方がおいでたのだった。

小慈小悲もなき身にて 有情利益はおもうまじ
如来の願船いまさずば 苦海をいかでかわたるべき(親鸞聖人和讃)
私の優しさは末とおらない、「たすけとぐることきわめてありがたし」という言葉もありますが、なかなかたすけることが出来ない、如来の願船がなかったならばどうやってこの苦海、人生を渡れるだろう。

「人生は苦海だ」と私が力説していたから、子どもたちが驚くだろうかと心配した。
そして、なんだかいっそう力がこもって、「念仏の教えに遇ってね。」と呼びかけた。私の娘たちの時代はこんなふうにたくさんの方が寺に参るということはなくなっているかもしれない。通っている保育園の新入園児は一名だという、本当に子どもが減っている、人が減っている。だから、どうしても寺をやっていって欲しいとは思っていません。ただ「親鸞聖人の教えに遇ってほしい、念仏の教えに遇あってほしい」そう思って彼女の名前をつけましたし、日々願っていますと伝えた。

弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。
念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。

そういうことで、今日のお話を終えさせていただきます。

子どもに伝えたいことははっきりしているだろうか。親鸞聖人の教えはいいよ、こっちの水は甘いよ、という気はない。真宗王国と呼ばれるこの地に僧侶としてある私は「お坊さん」というものがおる、ことくらいは伝えたい。