『生死』②07.2.21.後半

帰って次の日に月忌参りへ行き、研修会の内容と、昨年2006年に国家予算に「自殺予防対策費」9億円が計上されたなどについて話した。負債をかかえて「生きたいのに」死ぬことを余儀なくされることはこのシステムによって救済されるはずである。「でも・・・」とご門徒が言った。「○○さんところのあの子が死んだのは負債とかが理由ではなかったのよ」「そうやよね、私もそこを聞きかたったの、何かのせいに出来ない死、だからね、排除されたような気持ちになったの・・・」


自死は選ぶものではなく、追い込まれるものであること。どうしようもない状態に追い込まれて選択肢が一つずつ消えていき、最後は自死というところまで追い込まれる。その人が弱いから自死するのではない、決して自死は個人の問題ではないということ。「死にたい」ではなく「死ぬしかない」という死。そこでいのちの尊厳を安易に説くことは、時には残された人たちにとっては暴力である、と語られた。


確かに決して自死は「個人の問題ではない」かもしれません。人は繋がりを生きるのだから。でも社会や周りのせいに出来ない自死ってあると思いませんか。本人が弱いからでなく、追い込まれ「死ぬしかない」という決断を余儀なくされた死、同じ悲しみを繰り返さないための運動のエネルギーにまでなる社会の問題には、そうではない「自死・自殺」が排除されている、その遺族の傷は深くなるでしょう、「ああ、ここでもだめだった」と。
そして本人がうつ病などの病でなく、社会や周りのせいではない理由があれば、だれがどう楽になるのか、遺族が自分を責めるということくらいしか思いつきません。


大切な人が何人か、自死を選び、話すことが出来なくなってしまいました。
自死を選んだということを憎み続けていて、本当にいいのか、と思います。
「選んだ」という言葉を「追い込まれた」にしたときに、周りにいた自分を責めます。追い込んだものとして生きることが出来ないから、選んだことにしたいのでしょうか。自死を選んだことをだれのためになんのために憎み続けなければならないのか、死を選んだことを受け入れようと努力してもいいのではないかと思っています。もちろん努力であって、死に別れた悲しみは癒える事はなく癒えてなくなるのはもっと悲しい。あの人らしいとか、楽になったとか、私はこころで思う日があります。


また、仏教では自死は罪だから、地獄に落ちると言って、遺族を追いつめる恐ろしい僧侶がいるという、彼は何を語りたいのか。背中を蹴りたい。

そのことについて、ある方が「仏教では自死が重い罪であるといわれていたが、私が聞いたところでは釈尊の教団(原始仏教教団)では自死についての罪をむしろ説いていなかった、これはうろ覚えなのだが、舎利弗(しゃりほつ・釈迦十大弟子の一、阿弥陀経で名を呼ばれている)は自死をしたと聞いたように思う」「その後教団が出来てから自死の罪というのが説かれるようになった、つまりあと付けだと聞いたことがあります」といわれた。手持ちの釈迦十大弟子のマンガには外道に襲われた目連が業(ごう)を滅するために姿を消しているし、その後生涯を共にしようと誓った舎利弗も姿を消し二人の死は仏陀をこのうえなく悲しませたことだろうと書いてあった。はっきり書いてないが自殺のように読める。大体、断食の修行なんてすれすれ(死にそう)だと思うし、ミイラは成仏のためのやつもあったとか・・・これはその時物知りそうな先生たちも言っていた。


また「仏教の一番重い罪は謗法(仏教を信じないこと)であり、自殺は心の病だから罪でない」というかたがおいでるそうなんですが、これはすり替えだと思う。そして、自死する人は尋常でない、正気でない、病気だとひどいレッテル張られているようだ。正気で自死するのかどうなのか、私にはわからないし、そんなことはどうでもいい、五逆(殺生が含まれる)より謗法罪(法をそしる、教えを信じない罪)の方が重いというのは、ずっと聞いてきた。


殺すことは罪だ、人を殺すことも自分を殺すことも同じ殺す罪、それは、猫をはねるのも、虫を踏んで殺すのも、牛肉を食べるのも魚を食べるのも息してプランクトンを殺すのも、いのちのレベルでは同じだと思う。生きている事が罪であり、それを親鸞聖人は「無始以来(むしいらい・始まりが無いほどより)」の罪を生きる、といったと思う。


自死が罪だとか、地獄に落ちるだとかという言葉にどうか、迷わないでください、罪でもそうでなくてもいい、悪いとか良いとかは人間の勝手な価値観です。罪だからダメな死だなんて、言わないで欲しい、と泣く事さえも、この国では難しいことを研修会で学んだ。

残された私たちは、残されたことできっと出逢っていく。「すくわれる」という言葉がきかれた。「自死したことのお陰で」と思えることが出来たら「すくわれる」ことがあるのかもしれない。でも私は思う、それは「続かない。」相続せず、という表現がぴったりする。出逢い続ける、日々生きる、浄土真宗は身近な人の死を通して出逢うことが多い、500年もの昔から、毎日朝夕のお勤め(お参り)が勧められるのは、「相続しない私であるから、出逢い続け、日々生きる」ということを大切にしたのではないかな、と思った。


研修会では小児科医で大谷派の僧侶でもある、梶原敬一氏が話された。子どもの死は親の死よりつらいと聞くことがあります。子どもをなくしてかわいそうやと、ところが先生がいうには、「かわいそうだというのは第三者、かわいそうだと泣いてはいけない、泣いたら嘘になる、人の死はめでたいこととして送っていく、生きるという仕事を終えた」とこういうことをおっしゃる、そして「どんな死に方でも。」とおっしゃった。


世間の中で考えると、若くしてなくなったいのち、90歳で亡くなったいのち。ところが長さではない、生まれてきた、生きた、死んだ、人生の中では一緒なんだと。いのちあるものの死は必然。大切な人が亡くなったとき、「残された家族は(その人を)どう失っていくか」ということがあります。聞きなれない表現だとは思います。亡くなった人をどうとらえるかというより、無くなった後にどのような関係を持つか、というたらどうでしょうか。


ある、子どもを亡くした親は「悲しみをのりこえるのが私たちのつとめ」というが、そうでもない。一周忌、三回忌、七回忌、十回忌、二十五回忌、五十回忌、悲しみは時間と共に増すものということもあります。私たち浄土真宗門徒は亡くなった人を縁として法要を続けてまいったということがあります、それは死者と残されたもののであい続ける場を開くという願いが先達(昔の人)よりこめられている。死を縁としてどうか南無阿弥陀仏の教えにおうてくれよと、こういうことなんです。仏教、真宗は死者と共に生きる道が伝えられてきた。葬儀、亡くなった人の追悼・追弔。亡くなった人を縁にして法要を重ねながら、悲しみを乗り越えるのではなくて、死者との時間をどれだけ共有できるか。そういうことでございます。


私も父を亡くしまして、時間がたって、悲しみが癒えたか、というとやはりそうでもないです。「悲しみを乗り越えるのではなくて、死者との時間をどれだけ共有できるか。」そういう言葉におうて、ああそうだったなぁと、


(少年の絶望) あとね、こんなことをおっしゃっていました、小児科医ですからね。
「死にたい」というのは小4、10歳くらいから、子どもの中に自分を殺してしまわなければならない、という感情がおこる。学校に行くようになってから、死にたいと思い始める。いじめにあうということがあるが、いじめが無くても、ある。ということです。


仏教が教える「穢土えど」は、人間が生きること(自体)が困難であると教える。生まれたところが穢土である。生きているところでない浄土。穢土とは何か、知恵を持つということ、仲間を持つこと。仲間に他ならない、家族も仲間、子どものときは家族、それがある程度歳をとると仲間。教育をとおさなくても知恵を持ってくると現れ、そこに世間が現れる。仲間によって現れる世間、人間関係によって作られていく。世間に生きるか世間から出るか、出るということは死。世間に殺されていく、死ぬ人も世間にどっぷりつかっている。社会だけの問題ではない。


生きとる、いいこと無い。世間の中でいいことは無い。いいことを求めること自体が難しい。ある少年が「いいこと、楽しいことが無い、辛いことばかり、ずっと辛い」といった。早く気付いてよかったと私は思う。
「世間の中に目的が見つからない、仲間や友達に裏切られ、生きとって何の意味があるのだろう」少年が訴えた。先生はこたえた、「いいことないかもしれん、そうやな。生きてみんとわからん。」実はこれは真剣な言葉だと思います。


親鸞聖人90年生きて楽しかったか、楽しくは無い。楽しいまま過ごしたかったらわざわざ(知っている人や支えてくれる人がほとんどいない)京都に来ないはず。親鸞はなさねばならないものを人生の中に見出した。楽しいとか面白いでなく、なさねばならないことを見出した。


専門家が溢れていることが問題で、いのちを懸けて問い続ける以外に無い、いのちを懸けて問い続ける、いのちに向かって。まさに生きることの「素人しろうと」として立ち向かったのが僧侶であり、仏教。仏教は決して専門化しない、専門化できない。一人一人立ち返ったとき全ての人に通じる。努力、能力でなく、一人の人間でただの人間、専門家でない、方法を持たない。世間をいかにあきらかに、ということでした。


最後はじめのお話の続き(―どこまで生きても生ききれないようないのち・経過を話す、)和田稠先生の(話されたことの)テープ起こしを読んだんです。とても驚きました。これはこの先生の話を一度きかせていただかんならんと、思いました。


秋に報恩講に初めて和田先生のお寺へ行ったんです。先生のお話される姿、何をお話されているかは難しくてなんもわからなんだですけど、ああ何かとても大切なことをおっしゃっているんだ。これはどうしても聞かんならんと思ってね、そして帰ってきたんです。その帰ってくる途中にひとつ真宗で一生聞いていかねばならんというご縁をいただいた。それは何かというと、それまでは、学んでいって助かる、何とか助かるということを目指しておったんです。これで良しと命終えていけるような、そういう心境が開けることをそれだけをひとつ願って修行もし、勉強してきた。


専修学院(京都にある、真宗大谷派の学校)で学んでいるときも、念仏するのも、してみるんだけれども空しくて仕方がなかった。念仏してもね、しておるその口先からもう空しいんです。もっと言うとね、無理にするもんですから、念仏せにゃならんと思ってね。念仏がでるようにならなければと思って無理して言うもんですから。もっと言うと嘘ついているような気持ちだったんです。


皆さんはどうですか、ワクワクしますか?何か、お前は本当に如来を信じているのか?その念仏はいったい何のつもりや?と。そういうことで自分がこれで良しといえる心境を開きたいとずーっと思っておったんです。


ところがその先生のところから帰る途中の電車の中で、やはりひとつ何か、からだを突き抜けるような思いでね、「そらごとたわごと」という言葉が響いていたんですね。そしたらね、ひとつだけはっきりしたんですよ、そのときね。間違いのないこと、真宗においてひとつだけはっきりしたことが。それが一生真宗を聞いていこうと今思う。明日のことはわかりません。今度キリスト教になるかもわかりませんがね。


生涯聞いていかねばならない本当に大切なはっきりしたこと、間違いのないことに気付かせていただいた。それはなんだと言ったら「なんぼ聞いても分かっても人間は迷って命終えるものなのだ」こんなこと聞いたら嫌になるでしょ(微笑)、心配せんでも悟りが開けたりしないのです。迷ったまま命終えなければならない存在なんです。しかも迷ったままということは中途半端に命終えなければならないということです。「中夭ちゅうよう」と言いますでしょ。これで良し、もうやるべき事は全部終わった、ということなしに(ということがなく)。どこまで生きても何年生きても生ききれないようないのちをいただいておる。そういうことが一つはっきりしたんですね。


どうですかね。そういうことをお伝えいたしまして、終わらせていただきます。