「あげあしとり」なのかな

今日は○○さんの弔辞ご苦労様でした。皆さん感激しておられたようです。そのことについて今日は話に来ました。

「天国へいった」とか「天国から見守って」と、「天国」という言葉が三度使われたのですが、今日は浄土真宗の寺が四カ寺招待を受け、浄土真宗の葬儀が執り行われました。○○さんのところは熱心な真宗門徒で、おじいちゃんの姿を見られていたということか息子さんたちも熱心な方が多いです。お通夜でも、「正信偈」のお勤めの声の大きいのに他所の人達が感心しておられた。

真宗門徒は亡くなったときに、「浄土へ還(帰)った」という、「天国」は場に相応しくない言葉です。

「若いから知らないのだな」と今はよくても、70・80歳の地区会長のおじいさんが弔辞で「亡くなった方は四国のお遍路参りとか神社の旗を新しくして信仰の篤い方だった」とおっしゃって、場に相応しくないと苦言を呈したこともありました。「いいじじがなんゆうとらんかな」と周りの人は思っていることと思います。

今日は「○○寺なんしとる」と控え室で言われたので、「うちのご門徒でない」とは申しながら、月参りのご縁をいただいておりますので、やはり伝えなならんと思ってきました。