つづき

遺族の人たち どういう気持ちでいるか
自分が殺してしまったという自責の念、先ほどのVTR「僕が風呂に入っていたときなぜかはじめて父が風呂にはいてってきた、その時僕は風呂からでてしまった、あの時出ずに何か話をしていれば(自死を)とめられたはずなのに」
寂しかったり、それに加えて、なんで止められなかった、亡くなった人への怒りなど、
だれにも話すことできない
「自殺したのではないか」と、見つかるのが怖い、おびえて過ごしている。
大切ないのちを自分で放棄した、よくないことをした家族、そんなふうに見られるのが辛い。

事実に目を向けず偏見で見てしまう、遺族を追いつめる「やってはいけない」

一人ひとり辛い体験をしても腹におさめ過去にしている
人間には回復していく力がある
物語(ものがた)っていくことで紡ぎなおす

お父さんが自殺したからこそいきられる人生がある。
少しずつ自分の体験と向き合い、同じ体験をした仲間たちとともに、乗り越える出なく向き合う、歩みを進めていく、人間のたくましさを回復していく

ところが自死遺族はその回復力を社会から足を引っ張られる。弱いやつだと社会から物語を勝手に押し付けられる。

どうやったら安心して悲しんで悩んでいけるか、どうしたらそういう社会に出来るか、一緒に考えていきたい、それが減らすことになる。
悲しみの底から回復していく
自殺の問題と向き合える、それが生き心地のいい社会になっていく

遺族への三つのレベル
① 個のレベル
② わかちあいの場 グループのレベル 同じ体験をしたもの同士 そういう場がどうしたら作っていけるか
③ 地域で社会で
① 痛み、人間的に当たり前、当たり前のことを持っていく
忌まわしい、特別なものではなく、大切な人を亡くした、誰でも得ることある、人間が誰でも抱く、
そうでないと、自死で家族を亡くした、特別な、奇妙な、なら、足を引っ張ることになる。
自責、なぜ、偏見に苦しむということがあるが、怖がらずに接する。一人の人間として、一人の人間に向き合う、相手の痛みを知る必要がある、自分が殺してしまった、偏見に苦しんでいたり
三つのレベルはそれぞれに何が出来るのか、遺族の人たち
それぞれが持っている回復力いかに発揮できる環境を作ってあげられるか、物語ることによって紡ぎなおす
実態、どうやって
客観的に伝えることによって紡ぎなおすということある。
体験を少しずつ客観視することが出来る。

遺族の人たち自ら回復していく、地域でわかちあいの場を、グループで運営するには、地域、場所を提供する。わかちあいの場を作る。
会場をとるのは大変、安心して集まれる場所、場があることを伝える、すでに家族を亡くし孤立している人に連絡先を教える。「大切なことが書かれたクリアファイルの作成・配布」
同時に出来ること、これから遺族になる人、孤立になる前に、こういう感情に陥りやすい 事情聴取する警察のほうから渡すこと出来ないかと
自死遺族の方へ」ではだめ渡される方が身構える「大切な人をなくされた人へ」というファイル、いろんな手続きの方法、(「死亡届」をだすなど)法律や公共機関の窓口、地域の遺族の集いが書かれている。
その中に、遺族の集いをあえて小さく書いていることが大切
クリアファイルなら、(いろんなものをちょっとはさんでおくなど使い道もあり)持っていてもらえる、そういうことで、情報にたどり着くこと出来る、経験を語る場。ファイルにはこれは簡単に捨てられる、うつのチェックシート・裏には自死遺族の体験が書かれている。

提案として自死遺族支援シンポジウム
地域の誤解啓発 「わかちあいの会」立ち上げる
アンケートをお願いしたら、名を残すことが多い、自殺対策ネットワーク作る、具体的なイベント それとあわせて出来れば、来年度末 自殺で家族を失った方の合同慰霊祭を行いたい、自死の場合、こじんまりと周りに気付かれないように葬儀を行う場合も多く(葬儀は行わないこともある)存分に悲しめていない。
12日1日はいのちの日、その時にでも行えたら。
安心して亡くなった人を思い悲しみ涙を流す

是非一緒に考えていけたら