「カルトと私たち」より カルトとは

非常に難しい問題として、「この集団はカルトだ」というふうに断定的に言ったり、口外をするということが、その団体や組織に対して大きな誹謗中傷になる場合もありますので、簡単にいえないということがあります。
カルトというのはアメリカ英語で、近年、「熱狂的な宗教小教団」という意味に使われるようになりました。熱狂的な宗教小教団であるだけなら、さほど問題にならないと思いますが、問題は、この熱狂的な宗教集団が暴走しだして、例えば、入信している個人や、あるいはその集団に対して反対の立場を取っている人の人権を著しく侵害する。いわゆる身柄を拘束する、危害を加える、時には命さえ奪ってしまう。経済的、社会的な破綻に追い込む。また、この集団が社会に対し破壊的集団になることです。それが、カルトというかたちで問題化したものです。いわゆる、一般的にカルト問題とかカルト宗教といわれている内容です。

具体的な問題として、オウム心理教・統一教会、統一心霊協会(社会的にこの集団はカルト集団だというふうに、法的にもかなり根拠を持って言われている)・2005年7月に若年性糖尿病の女の子が、インスリンの注射を打たなければ、命が危ないにも関わらず、「真光元」という粉を水に溶かして飲めば、糖尿病が治るとのだと言うふうに言って、その薬(科学的に言えば薬ではない)を飲ませていた。すぐに血糖値が上がって、こん睡状態に陥り、その女の子は亡くなってしまった、この考え方、この集団はカルトだと言っていい、糖尿病でインスリンの投与が必ず必要だという人に、インスリンを止めさせたら、死に至るのは科学的にわかっていることです。明らかに脱法行為。こういうことになれば、その集団はもう、類似点とかの議論以前に、非常にカルト性が強い。
ということが書かれています。
一番大切なことは、カルトは若い人を惹きつけるという事、勧誘は一番多いパターンが大学へ入った直後であること、そして、今日、カルトの問題が社会問題化し、日本の若い人達が入っていく過程には、その生育過程で全く宗教に触れていないことが問題なのだと、専門家から言われています。本来の宗教に触れ、宗教性が身についていれば、カルトのような擬似宗教に触れたとき、おかしいという違和感というか拒否反応が出るのに、その宗教的免疫が全くないのが、問題だといわれるのです。

ですから、真宗の教え、三宝という視点が、真宗門徒の家庭で伝えられなくなっているというのが、カルトに付け入らせる余地を作ったともいえます。これは、私たちおてらにいるものの大きな責任ですし、誠に申し訳ないのと同時に、皆さんと一緒に教えを伝える真宗門徒の伝統を掘り起こしていかねばならない。

ほとんど原文をそのままうつしました。
小さい力だけれど、やっぱりがんばって、法事に来てくれた学生さんたちに危険なサークルに入ったときに「なんかおかしい」と感じたり考えれらるように、一生懸命伝えたい。帰依三法ということが真宗門徒の大切な眼である、いいかえるとカリスマ信仰や神秘思想はいらないということ。まだ私が行く法事の予定はないけれど、がんばる。