仏教用語は日本語ではないのだろう。

ソウルにボーイフレンドがいた。数年前に韓国ドラマが流行して、韓国の男性が一途で律儀で優しいことをよく耳にしたが、私の受けた感じもそのもので、宝物のように大切にしてくれた。あの頃韓国語が聴けるテレビ番組はたった一つ、NHKの「ハングル講座」だけで、ビデオにとってみていたが、国際電話で付け焼刃のハングルを話してもなかなか伝わわらなかった。
日本語が共有できない人とは結婚する気になれなかった。目は口ほどにものを言う、背中で語る、とはいうけれど、言葉を尽くして伝えたいことがある。接続詞が違うだけで雰囲気が変わるもの。また言葉には背景がある。
当ブログは一部の人にしか書いてある事が理解できないものである。何語を話しているのか、このままでいいのか。勇気を出してブログに書いていることをたくさんの人に伝えた。このまま大勢の人がわからない言葉を綴っていいわけはないが、誰とでも話せることはわざわざここで吐露することもない。だけど…。
いきづまったら寝る。