BEST OF 年賀状2007

今年もたくさん年賀状が届き懐かしい顔が揃った。年賀状に書かれた言葉に、感激し立ち止まり続けた。

今、私たちが見ることができるヤクスギは、決して綺麗な杉でない。それは、江戸時代の伐採時、使いようのないものだけが残されたからだ。その「劣等生」の代表が縄文杉だ。数千年の時を刻み続ける「劣等生」が、人の世の価値観に問いかけてくれる。
2007年元旦

どうしたら願いが叶うだろうかと思い悩む。願いをかなえる方法がわからないことが問題なのではない。願うべきことが何であるのかを知らないことが問題なのだ。叶った時に消えてしまう願いや叶わねば無意味である願いは我々の欲望の変形にすぎない。
「何を」知らずに「如何に」と考えるのはもどかしい。真の狙いを隠したまま講じられる手段は実にいかがわしい。
それ自体が尊い願いは、思い立ったその時に、願いそのものが満ち足りたものとなる。
たとえそれが成就しなくてもその尊さは微塵も傷つかない。
「信に死し願に生きよ」  曽我量深
合掌
2007年1月1日

私の大切な先輩方を誇りに思います。本当にうれしい。
今日は「追善」へ行ってきた。公民館のお内仏には三名の法名があった。ご門徒法名は一つだけだった。それなら「追善」でも文句はない。そうはいいながらも、浄土真宗では「追善」をしない、亡くなった人にお経をあげて善になるという教えではないこと、「法義相続−お念仏の教えを伝えていってほしい」という、先達の願いのもと、今あることをまずまず話せた。年賀状にいただいた感激した言葉も伝えればよかったな。