外部からのフギン

今日のお葬式は、披露宴でお世話になった旅館の創業者で95歳で命終された。どうでもいい事のようだが、僧侶がお手次の寺から導師を含めて3人、近くのお寺の方4人、そして私と大人数だった。それぞれの地域によってやり方もちがうけれど、私のような真宗寺院が密集している地域では、近くでもない(担当区域でない)私が呼ばれるのは、「訳有り」である。外部からのフギンは亡くなった方の家族と親戚とか、実家のお手次ぎということが多い。そうはいっても僧侶の誰かが「(外部なのに)なぜ呼ばれたのか」ということを言うわけでもないが、問われもしないのに呼ばれたわけを話すことも多い。今日は言い忘れた。たぶんだけど、披露宴をその旅館でしたからだと思う。それしか考えられない。小さな町の商店街の旅館が大事にしていること、義理と言っていいだろうか、うれしかった。