昨年の読書感想文『ぼくがラーメンたべてるとき』

ぼくがラーメンたべてるとき

ぼくがラーメンたべてるとき

実は昨年、読書感想文で「優秀賞」でした。親子生まれて初めての表彰でした。表彰されることに過剰な喜びを感じることの危険性をどこかで感じるくらい、うれしくてしょうがなかったです。(面倒な人だねぇ。)


『ぼくがラーメンたべてるときをよんで』(オリジナル版)
わたしは、たおれているこがかわいそうだとおもいました。なぜかというと、たおれているということはしんでいるということだからです。なんでしんだのかというと、ごはんがたべられなかったからだとおもいます。のみものがのめなかったからかな。
なんでたおれちゃったんだろう。おかあさんやおとうさんがいなかったのかな。やまのむこうだから、だいくさんとかがいなくて、いえをたててもらうおかねがなかったからかな。もしかしたらせんそうがあったのかな。せんそうがあるといえもひともものもなくなってしまうことがあるから。
ほんをよんでほかのくにのはなしをおしえてもらいました。なぜみずをくんでいるのだろう。いえにすいどうがないからなのかな。わたしのいえにはすいどうがあるから、みずがのみたいときにのめるね。なぜあかちゃんをおんぶしているのだろう。がっこうにいかないで、ちいさいこのめんどうをみなければいけないんだね。なぜうしをひいているのだろう。きかいがないからこどももはたけのしごとをしなければならないからかな。なぜパンをうっているのだろう。きっとこどももパンをうるしごとをしなければ、ごはんがたべられないんだね。わたしが「ごはんをたべなさい」といわれて、たべているときに、おなじじかんに、おなかがへってしんでいるひとがいるとしらなかった。
しんでしまったとおもっていたらさいごにたちあがったので、よかったなと、おもいました。もしわたしがそうなったらたべるものやのみものをさがします。もし、おなかがへってたおれているひとがいたらたすけてあげたいです。
わたしのしらないくにのことをしって、たべものをだいじにするとか、のこさないというやくそくができませんでした。これからはかわることができるかわかりません。でも、わすれないようにします。


実はこれはボツになったものです。最後の数行を書き直しました。のこさないようにする約束ができなかったり、変わることができるかわからない、「わすれないようにする」だけではだめなんだそうです。私はだんなはそこが一番気に入っていたんですが。
結局、「きらいなナスもたべるようになったよ」みたいな感じで終えました。