真宗門徒の一年の始まりというのは本来こういう形だったのかもしれません

「南無の日記」2008年1月1日より http://d.hatena.ne.jp/namgen/20080101
参考「南無の日記」2006年6月12日同2006年6月19日
立山山麓一帯の途中、栃津川上流に沿ってあがる道沿いに「親鸞聖人御分骨所」というのがあるらしい。「越中三坊主」と呼ばれる親鸞の直弟子?がいてその一人が願海房と称したようだ。「願海房信性」、俗名村上権ノ兵衛由清は新潟で親鸞聖人の弟子となり、法名を願海房信性と称して越中で布教。死後、栃津柴草山の麓に葬られる。その子清壽(清寿)は、親鸞の子覚信尼から聖人の御分骨を授かり、一字(寺?)を建て菩堤を供養す。その堂、新井山願海寺。現在願海三十一世村上巧演氏清水町願海寺に血脈法灯を相続する。

元旦に親鸞聖人の「分骨霊場」へ御挨拶と発起し重装備して出かけたが、吹雪の中、除雪の痕跡が無く腰までの雪が進むにつれて胸までなる新雪量に一度は断念したものの、有縁の方の力をかりて、人力大除雪作戦をくりひろげ、遂に親鸞聖人に遇いに行かれたという南無さんの日記を感激しながら読みました。真宗門徒の一年の始まりというのは本来こういう形だったのかもしれません。そのとき南無さんは何を聴いたのでしょうね。今年は私も行きたいです。