なぜ『大経』か(予告)
今日は久しぶりに聴聞の場へ。数年ぶりに尊敬する師の講義を拝聴する。感激してうるうるした。当然ノートはとったが、しっかりとれたのか自信がない。でも要点はしっかり聞けた。
今日参加した「教行信証の会」は『教行信証』の教巻(きょうのまき)を勉強するにあたって、『大経』によりみちして二年、今日は『大経』70pから75p五悪段の三番目のところをやる。
ぼちぼちとったノートをまとめることにするが、ちょっと予告。
経巻は、
夫レ真実ノ経ヲ顕サハ則大無量寿経是也。
それ真実の経を顕せばすなわち大経これなり『大経』は真実だとはいっていない。
真実の教は『大経』だが、『大経』は真実とはいっていない。
親鸞は真実の教えは『大経』で遇うた、『涅槃経』、『法華経』ではなかった。なぜ『大経』か。『教行信証』信巻わずか三頁に決定している。
うるうるした。