7月の御文

五帖目七通

7 それ、女人の身は、五障・三従とて、おとこにまさりてかかるふかきつみのあるなり。このゆえに、一切の女人をば、十方にまします諸仏も、わがちからいては、女人をばほとけになしたまうことさらになし。


しかるに阿弥陀如来こそ、女人をばわれひとりたすけんという大願をおこして、すくいたまうなり。このほとけをたのまずは、女人の身のほとけになるということあるべからざるなり。


これによりて、なにとこころをももち、またなにと阿弥陀ほとけをたのみまいらせて、ほとけになるべきぞなれば、なにのようもいらず、ただふたごころなく、一向に阿弥陀仏ばかりをたのみまいらせて、後生たすけたまえとおもうこころひとつにて、やすくほとけになるべきなり。


このこころの、つゆちりほどもうたがいなければ、かならず、かならず、極楽へまいりて、うつくしきほとけとはなるべきなり。さてこのうえにこころうべきようは、ときどき念仏をもうして、かかるあさましきわれらを、やすくたすけまします阿弥陀如来の御恩を、御うれしさ、ありがたさを報ぜんために、念仏もうすべきばかりなりと、こころうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

「うつくしきほとけ」というのは、美しき仏でいいのだろうか。院号法名をつける時、この言葉が頭から離れなかった女性がいる。優しい笑顔しか見たことがない。「美」という字を法名にするのは、いささか抵抗がある。「美」「醜」なんていうのは絶対的なものではない。
この蓮如さんの言葉に励まされて、「美香院」(みこういん)という名をつけた。ご本人に確認したけれども、それでいいとのことだった。でもずっと気になる、現代的すぎるかなぁ・・・。