和田稠一周忌記念(遺稿集)「出離その期なし」(大地の会)

和田稠一周忌記念「出離その期なし」(大地の会)を買いました。(非売品と書いてあるけれど)1300円でした。「大地の会」というと、私たちの上司である藤井慈等研修部長(旧)を想います。あとがきにある、藤井部長の言葉を紹介します。

本書は、和田先生の一周忌を目前に、生前大地の会聞法会でお聞かせいただいたその課題を、改めて確かめることができればと考え、聞法会における最初と最後のご講義を選んで、「遺稿集」として出版を思い立ったものであります。併せて、今年の大地の会聞法会でお話下さった大河内了義先生の「和田稠先生を偲ぶ」、常盤知暁先生の「信心からの解放」、そして遺稿集のために寄稿して下さった鈴木君代さんの追悼の詩を収録し、和田稠先生の世界、その課題を荘厳していただくことといたしました。


最後のご講義「出離その期なし」の半年前、2003年の大地の会報恩講におけるお話が残されています。・・・
真宗がいつの間にかヒューマニズムになってしまった。真宗ヒューマニズム。そういう感じがずっと続いておりまして、いまの続いております。しかも、そういう点は何かもうお互いはっきり押さえることもないままきているということ、どうでしょうか、これは僕の思い過ごしでしょうかねえ。教団をあげてやっていることが、真宗真宗といっておるけれども、何か戦後五十年の近代思想に乗っかってしまっている。だから先ほどの話にありましたように、悲しみが出てこないですね。煩悩具足の身を悲しむということは、煩悩ではないでしょう。煩悩が煩悩を悲しむということはないでしょう。煩悩の身を悲しむというとき、悲しむ心は煩悩でないですね。悲しむ心は身よりも深いんです。」

「身よりも深い大きな悲しみに出遇う」ということが、一番重要な問題ではないかと提起されています。ここに出てきます「真宗ヒューマニズム」の言葉は、先生のいわゆる「天皇を人間に!」発言以来、さかのぼれば「結局、同朋会運動、同朋会運動と言ってきたけれども、その歩みの中で私たちが打ち倒されるということがなかったではないか」ということと相俟(あいま)って、ずっと抱えられてきた問題であります。


改めて考えますと、先生の生涯は、寺を出て寺を生きる、教団を出て教団を生きる、いってみれば「大悲に生きる」という、終わりなき聞思の歩みにほかならない。言い換えれば、そのように教団を問い担い続けられた底に流れていますのは、人間を根底から問い返す、人間観の深さです。そのような先生の聞思道にお育てを被ってきたとすれば、「今担わなければならない課題は何なのか」、そのことに改めて真向かいたいと思います。

欲しい方はコメントを下さい。(1300円+送料290円)
お急ぎの方は、
【連絡先】
徳島県鳴門市撫養町南浜字権現43善徳寺内
TEL088-686-4025 FAX088-684-0582(本のFAX番号が間違っています)
一冊より注文を受けていただけます。10冊より送料無料ということでした。