父の命日

今日はふきのとうをとりに行った。おひさまはぽかぽか風が優しいうららかな日で、私はこんな日が嫌いだったことを思う。父はこんなうららかな日に死んだ。そういえば今日は命日だった。父のためのお経はあげないし、精進(肉魚を食べない)もしない。一つ、誓いを立てた「今年からお父さんのように原稿を見ないでお話をする。」父は事前に原稿を作って暗記していた。

一周忌、三回忌、七回忌、十回忌、二十五回忌、五十回忌、宗祖親鸞聖人にとっては七五〇回御遠忌。悲しみは時間と共に増すもの。死者と残されたものがであい続けるか、亡くなった人を縁として法要を続けてまいったということに意味がある。

仏教、真宗は死者と共に生きる道が伝えられてきた。葬儀、亡くなった人の追悼・追弔。亡くなった人を縁にして法要を重ねながら、悲しみを乗り越えるのではなくて、死者との時間をどれだけ共有できるか。

という梶原敬一氏の言葉を思っていた。私はこれからもお話の度に父を想うだろう。ふきのとうはもう開いているものが多く手のひらいっぱいとってきた。