『生死』①07.2.20.前半

みなさんこんにちは、今日は永代経ということでまた呼んでいただきましたことをとてもうれしく思っています。今年で五年目なんですよ、ああ、この五年間に本当にいろんな事があったなと、じいちゃんが入院して、退院したら、お父さんが死んで、家をリフォームして、娘を、(未満児というてね、三歳前のことなんですけれども、)未満児のねねを保育所にほりやってね、月忌参り、お通夜、葬式、法事、祠堂経をしたり報恩講をしたり、お説教したりね。自分のやっていたことがこうがらりと変わってしまって、それらがなんとかぼちぼちできるようになってきたかな、というこの頃です。


同時にじいちゃんが、ここにもずっと読んでいただきまして、皆さんにお世話になっておったんですが、だいぶ、いうところの「まだらボケ」で、最近も同じうちに一時間おきに枕経行ったり、夜の八時に月忌に行ったり、真夜中の一時に参りに行ったり、となかなか大変なことになっているのですが、どうですかね、何を忘れても「参りに行かんなん!」という情熱みたいなものを無くさない、そういうことは本当は私はとても尊敬しています。困ったことをしてくれてもね、あの優しい笑い顔を見るとね、怒った自分が嫌になっています。まあそういうことで、毎度変な自己紹介ですが、こんでおいておきます。


さて、去年は記録的な大雪だったけれど、今年は暖冬で、あんまり雪がふらんもんでさみしくもありますね、どうですかね、娘がもうすぐ五歳なんですが、まだ小さいから、雪が降るとね、犬が駆け回るように「雪だ、雪だ!」と喜ぶものですから、こんなに雪がないのはね、さみしいです。去年は本堂の大屋根と寺に上がってくる坂が屋根に積もる雪が落ちて、こうして一直線になって、坂の下から見ると、空に続くような感じですごい眺めでした。家から出るのに雪をかきわけてでなならなかったし、大雪の日は「たのんこちゃ、月忌参りかんにんしてください、」ということもあったし、食料がなくても「買い物へ行って途中事故にあったらたいへんだからごちそうでなくてもあるもので我慢して食べよう!」なんて、今から思い返すと、楽しい思い出です。


そしてね、亡くなる人が意外にも少なかった。こんな穏やかな今年のほうが葬式が多くて、人の命というのはわからないものですね。そういうことで、このところ葬式や七日参りに追われています。ここだけの話ですが、住職であるだんなは、お通夜のお話をするのが嫌な人で、いつもは「うさぎ」といわれていて、あんまり表情がない、ところが通夜説法を私がするよ、というと、うれしーい、顔をするんです。このときばかりはうさぎを返上してにこーっと。まあ、うれしい顔が見たくてがんばっとるわけでもないのですが、老人介護の勤めに行っているので、葬式だけ出ることが多いんです。お通夜の話というのは、今日のようににこにこ元気いっぱい話すわけにいかんですね、死という厳粛な場ですからね、しかも、泣いている人が横にいるんですからね、たいへん辛いんですよ。だから今日はなんか解放されれたようでね、うれしいです。


だけどもね、今回は「生死(しょうじ)」ということで話を聞いていただこうと思ってきました。やっぱり、「死」「生死(しょうじ)」ということを抜きに語れないなと、お通夜のお話を何しようか、一生懸命問い続けてね、答えが出たわけではないんですけれどもね。


余地の隣在所若緑の、あるおばあちゃん、顔を見なくなって入院をされているということを聞いてから長いこと何年もたっとってね。「枕経にきてください」と電話連絡をいただきまして、率直なところ「とうとうお亡くなりなったのだな」と思いました。そのおばあちゃんは明治の生まれで茶色の着物を着いた、髪をお団子にして、「じょうちゃん」と呼んでくれました。それは私だけでなくて、うちのおばあちゃんもお母さんもみな「じょうちゃん」と呼んでくれていた。光明寺の「報恩講」には毎年そのおばあちゃんと妹とお斎のお皿を拭いた覚えがあります。


それから以前は「太子講たいしこう」に餅をまいていましたが、餅を作るときにも毎年来てくれて、丸めてくれた姿を思います。うまいこと丸める方で、そのおばあちゃんのことを光明寺では「はしかい人」といっていました。なんでもうまいことやった人だった。


うちのばあちゃんは、梅干のつけ方を教わったそうです。母は、私がお腹にいるときに、山で摂れた松茸をいさんで持ってきてくれて、家のストーブでみんなで焼いて食べたことがあったわ、といっていました。昔はとれたんやね、ほんでも貴重なはずですよ、それを「まずお寺へ!」と持ってきてくれたんです。なんでもうまいことする、はしかい人やった。だんなさんを若くに亡くされた、30代だったと思いますよ、たいそされた方やった。


その日、私は納棺のお勤めを終えてから、「院号法名」の手続きに、金沢別院へ行ってきました。職員の方に「門徒台帳に名前がありますか、」と聞かれ、「おそらくあると思います。熱心な方でした。」と答えました。私の予想通り帳簿には名前がたくさんありました。金沢へ行くたびに、お金持ちだからといってそんなことを一生懸命するわけでもない。


それは一体どういうことだと思いますか。「なんや知らんけど熱心やった」おじいちゃんおばあちゃんが大事にしていた、そして当たり前のように家にお内仏があるけれど、どんなふうにいいのか、なぜ一生懸命になっていたのかわからなくなっています。「なんや知らんけど熱心やった」で、私も納得できるかといえば、そうではなく、僧侶としては若くても、女でも、お布施もらっているんですから、私のところでははっきりせんなんことです。


そしてね、私は、ご本人の依頼もあって、住職と相談して院号法名をつけさせていただきました。院号法名は申請時に八万円要ります。これは八万出してもらうのでない、法義相続のためにがんばった方にお礼として院号がつけられるというわけです。「誓恩(せいおん)」という名前をつけさせていただきました。


おくねんみだぶ ほんがん じねんそくじ にゅうひつじょう ゆいのうじょうしょう にょらいごう おうほうだいひ ぐぜいおん
陀仏の本願を憶念すれば、 自然に即の時、必定に入る。ただよく、常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべし、といえり。

正信偈の言葉から、誓、誓い、誓、といえば、これは浄土真宗ではもう、弘誓ぐぜい 弘い誓い、ということ、それは、阿弥陀仏の生きとし生けるものをおさめ摂って捨てない、わが名を称えよという呼びかけ、これを 弘誓ぐぜい 誓せいという、

その みだの願いが届く刻とき、「ただよく、常に如来の号を称して、」ああ、なんまんだぶつ、南無阿弥陀仏と称する。おくねんみだぶ ほんがん じねんそくじ にゅうひつじょう 弥陀仏の本願を憶念すれば、 自然に即の時、必定に入る。ああ、なんまんだぶつ というた時、すでにたすかっている。そう書いてある、これはとりもなおさず浄土真宗を一言で言うと、こうなる。
大悲弘誓の恩を報じたかた、ということで、「誓恩」という名前をつけさせていただきました。


お葬式は家でしたんですよ、この頃は家ですることが少なくなっていますが、おばあちゃんの「家から出たい」という願いをうけ、お通夜とお葬式を家ですることとなったんですが、尊いことだと思います。私は、勉強不足で、なぜ「家から出る」ということを願っていたかを知らないので、それはこれからしっかり聞いていこうと思っています。


そしてね、多くの家では、上にかかってある賞状や写真などに白い半紙が貼られるのですが、白い紙は貼りませんでした。これは、葬儀屋さんの提案もありまして、本来、浄土真宗は白い紙は貼らない、なぜ白い紙を貼るかというと、死を「忌むもの」「穢れ」ということで、それに触れないように貼るのですが、人は生まれたら必ず死にます、死を特別忌むものとしない、熱心な浄土真宗のご門徒であったかたですから、是非真宗門徒のお葬式をしてほしい、ほとんど私、坊主の勝手な願いをお父さんにきいてもらった、ということになりました。でも、これでよかったなと、私は思っています。


お通夜ではいろんな人がおいでる、今日は真宗門徒ばかり、みな人生の先輩だけれども、そういうことにはならない。そこで、浄土真宗の教えとは、幸せになったり、賢くなったり、偉くなったりする教えではありません。それはいうたんですが、では、どんな教えかとね、言えないまま、おばあちゃんが一生懸命求めておられた念仏の教えを私もまた聞き開いていきます。ありがとうございました。で話が終わってしまいまして、すごく落ち込んで帰ったんですよ、「ああ、今日の話は40点だった!今日の話には、答えがなかった、一番言いたかったことだけしか、話せなかった、」と。


もちろん「浄土真宗を一言で言うと、」おくねんみだぶ ほんがん じねんそくじ にゅうひつじょう ゆいのうじょうしょう にょらいごう おうほうだいひ ぐぜいおん のなんまんだぶつというた時、すでにたすかっている。というのがばっちり答えなんだけれども、すでにこれは日本語ではない、ここにおる皆さんなら耳が肥えているからわかるでしょうが、通夜の席はこの言葉で「そうかそうか」とうなずく方はわずかである。それに気付いたのが話しているときだったので、カンペキにおろおろして、最後の言葉となったんです。逃げではない、家で原稿作っていたときは、「よし、これでいこう!」と思えた。だらやね。わからなくなっていることがあらためて知らされました。


実はがっかり帰る私を心配してか、匿名の電話がかかったんですよ、「おばあちゃんの思い出とか話してくれて、とってもよかったと思うよ、若いのにちゃんとがんばっとると思ったよ、それからもがんばってください」と。ありがとうございました。本当にがんばります。


一番話したかったことは、「なんや知らんけど熱心やった」おじいちゃんおばあちゃんが大事にしていた、そして当たり前のように家にお内仏があるけれど、どんなふうにいいのか、なぜ一生懸命になっていたのかわからなくなっています。それは一体どういうことだと思いますか。という呼びかけ。


話せなかったこと、自死研修会から突きつけられたこと。自死・自殺についての研修会に参加しました。これはまた明日お話しする予定ですが、このことについていえなかった。


話せなかったこともう一つ、これから話しますが、これをどのタイミングで入れるか、そして本当に話すべきかも迷って、話せずじまいだった。途中にごたごたもあって「早く終わらせなきゃ」とみょうにおろおろしてしまったんですよ、賽銭のかごを準備するのに在所の父ちゃんが動き回るもんでね。申し訳ないけれども、まあそんなこともありますかね。