自死・自殺研修会に参加して①

またあの夢を見た。「短大生の私、出席日数が足りなくて卒業できない」という夢を度々見る。出席日数が足りない教科はそのときによっていろいろだから、その時の不安を表すのだと思う。今回はいくつもあった。不安がいくつかある。卒業して何になるのかはわからない。
・じいちゃんまだらボケ
パワーフォーリビング
・「自死遺族」研修会
まず、研修会に出席してダメージが大き過ぎた。一言で言うと抱えきれない、違う表現をすると整理できない状態で、苦しかった。

それでも、帰って次の日に月忌参りへ行き、研修会の内容と、昨年2006年に国家予算に「自殺予防対策費」9億円が計上されたなどについて話した。負債をかかえて「生きたいのに」死ぬことを余儀なくされることはこのシステムによって救済されるはずである。

「でも・・・」と大崎のおばあちゃんが言った。「○○さんところのあの子が死んだのは負債とかが理由ではなかったのよ」「そうやよね、私もそこを聞きかたったの、何かのせいに出来ない死、だからね、排除されたような気持ちになったの・・・」

その次の日、父親が自死でなくなった少年の安否を問うた。葬儀は私が行った。当時彼は中学生だった。声を掛けられないまま今に至る。私は何を願い、何がしたい、ただの自己満足ではないか、ただの名利心(みょうりしん・自分をよく見せたい、自分の利益を得るため)ではないのか。

幸せなのか情けないのか、自問自答しながらほとんど何も手につかないで寝てばかりで過ごす。何気なく「cancam」という20代の女性雑誌を買って見た。「エビちゃん」より「山田優」ちゃんが好き。「もえちゃん」もチェックする。「徳澤直子」ちゃん素敵。みんなきれいだな。

そんなことはいい、「パワーフォーリビング」の広告が載っていた。ミュージシャンのm-floメンバーの写真とメッセージ、ちっからづよいなぁ。

何のために生まれてきたのだろう。

何をすべきなのだろう。

(中略)

そして、あの日、僕は神を信じた。

あの日がなければ、いまも、人生に答えを見出せないでいた。

(中略)

今の僕には、心から信じられるものがある。

人生の答えも、いつも、ここからやってくる。

僕はこの本のメッセージで、人生の答えを見つけました。

<何のために生まれてきたのだろう。何をすべきなのだろう。>

という問いは、歌詞にもよくある。その大きな問いに目覚めるように気がつくときがあると思う。

<そして、あの日、僕は神を信じた。あの日がなければ、いまも、人生に答えを見出せないでいた。>

それを真宗では光明体験(こうみょうたいけん)とでもいうのだろうか、あるいは「回心えしん」というか、「回心ひとたび」(回心は一度)といいながら、回心はであい続けることだと和田先生は言った。わかったといって掴んだりしがみついたりすることを言い当てられた。もっとはっきりいうとこれを否定した。

<今の僕には、心から信じられるものがある。人生の答えも、いつも、ここからやってくる。僕はこの本のメッセージで、人生の答えを見つけました。>

そんなことをご門徒さんや若い衆や子どもたちに言えないわぁ、すごいわ。信じられるもの、私は、罪悪深重、煩悩熾盛、内懐虚仮、名利心、中途半端。もちろんこれは真実の南無阿弥陀仏(法の深信ほうのじんしん)から知らされる機の深信(きのじんしん)の内容なんだけれども。ああ、おちつけない、ということもあるな、真実だよな、そして一番大きいのが、和田先生がのこしてくれた言葉、「妄念、妄想」こんな大事なことってないな。「正しいこと」で傷つけなくていいものね。なにか違うものになってたすからなくていいのだと思う。嘘やまやかしや偶像崇拝でない真実を求めたい。

人生の答えかぁ。生老病死の他にあるのかなぁ。で、いるのかなぁ。


先日「うつ病の私、歎異抄の救い」というホームページを見つけた。私は真剣に迷っていないから、救いは特に求めていないのだろうなと夢にうなされる。何もしない自分に焦る。
そういうことで、夢に背中を押されて①から⑥まで書くことにしました。主に自死自死遺族。安眠は期待できそうにない。
23日 夢に背中を押されて②自死研修会より 問題提起 佐野明弘師 メモ(いのちの願いを見失って迷う)この題は勝手につけた。
24日 夢に背中を押されて③自死研修会より NPO法人 自殺対策支援センター ライフリンク 代表 清水康之 氏 講義 メモ
25日 夢に背中を押されて④自死の罪(所感)
26日 夢に背中を押されて⑤梶原敬一氏 講義 メモ
27日 夢に背中を押されて⑥父親が自死でなくなった少年の安否を問うた
28日 夢に背中を押されて①1月28日 プロローグ