「夢を見ない・・・・」「絶望しない・・・・」

この「夢を見ない・・・・」「絶望しない・・・・」は東本願寺の御遠忌(ごえんき)PRなんである。(親鸞聖人750回御遠忌(簡単に言うと法事)が2011年に行われます。)

http://higashihonganji.jp/
上のなんともかわらしい猫のやつです。

兄貴たちが所感を書いてくれている。なおあくまでも主観です。

◆坊主の家計簿「なめ猫
http://blog.goo.ne.jp/erovows/e/9143a721951456b0d82d45369b9c7453

◆ごぼはんのひとりごと「夢を持たない」
http://www.gobohan.com/blog/archives/2007/06/post_337.php

『子猫』というキーワードからはそういう力強さではなく、『かわいい』というイメージをまず持ちます。その中で
「夢を見ない・・・・」「絶望しない・・・・」『今、いのちがあなたを生きている』
では、諦めの宗教、慰撫の宗教、不平不満をいわない宗教のメッセージを私は受けます。
当然、そういう宗教も多くある事でしょうし、また、非常に宗教らしい。
制作したのは広告代理店だと思うのですが、
そういう『諦めの宗教』もっというのなら『差別を固定化する、そのままの教え』のイメージを私は持ちます。
「子猫が不平不満を云いますか?私たち人間も同じです。与えられた状況の中で不平不満をいわずに生きて行く事が私たちにとって一番大切な事なのです」
みたいな感じかな?それは現状肯定だけでしょうし、決して自他を問う事には繋がらないと思います。

坊主の家計簿「なめ猫」より
http://blog.goo.ne.jp/erovows/e/9143a721951456b0d82d45369b9c7453

ほや、ゆうとおりや。と私は思う。 コメントの方がわかりやすかった。 「猫」が問題で、バックに子猫の写真ではなく、

>例えば原子力発電所で爺ちゃん婆ちゃん僧侶達が『南無阿弥陀仏』の旗を持った写真だったらまた違った印象で、それこそ「私たちは現実を見据え、絶対に諦めない」みたいな印象を受けると思います。

で、ちょっとふきだしました。(ふきだしている場合でなかったりもする。)

ごぼはんのひとりごと「夢を持たない」 より
http://www.gobohan.com/blog/archives/2007/06/post_337.php
被差別民衆の大多数が真宗門徒である
その方々は何故真宗門徒になられたのだろう
(略)
今の自分を引き受け不満を言うなと諦めさせてきた
罪深いと思いこまされ生活させられてきた人達に、
そういうあなた方を阿弥陀如来様は救ってくださると
説いた人がいる
そしてその言葉に喜び踊った方々
それが被差別民衆だったのでは
初めて浄土往生という夢を持たれたのでは
浄土往生という目標を持たれた

いや
自分の心の奥底にしまっておいた
オレも生きたい、人としていきたい
という思いがあったことに気づいていかれた
心の奥底から湧きだしてきた
諦められない夢を思い出されたのだ

私も浄土往生、願生浄土は、今の言葉で言うと夢だと思う。
少し前に書いた「出離生死」ということも同じ意味だと思う。


のん気な私は、つくづく、スローガンを作ることの大変さを感じた。
「夢を見ない・・・・」
「絶望しない・・・・」
という言葉は和田先生の詩、

真実に生きようとすれば
現実から袋だたきにされ
現実に生きようとすれば
真実に背を向けねばならぬ。
それは 真実にも 現実にも
生きたことない者の 予断であろう。
真実に拠って 現実を歩み
現実に立って 真実を証(あかし)する。
このたのもしく確かな大道を
もろともに 往こう。
『終わりなき歩みを共に―親鸞の生涯に学ぶ』樹心社 和田稠

というのとなんかかぶっているように思っていましたが、
問題提起していただいて、両氏の言葉に共感し考えさせられました。