打ちひしがれた孤独な人々のために

親鸞聖人が「浄土三部経」と呼ばれたひとつ『阿弥陀経』と「スピリチュアル」繋がるのだという興味深い書き込みを見てからずっとひっかかっている『阿弥陀経』。
「ココロオキラクブログ 地獄はオレの遊び場だぜ」スピリチュアルにハマる人、ハマらない人

阿弥陀経』はここが見やすいからプリントアウトした。
『阿弥陀経』

今日はこの「祇園精舎に集まった、打ちひしがれた孤独な人々のために」という言葉に琴線が・・・
「玉永寺こころおきらく日誌」

祇園精舎を別名「祇樹給孤獨園」という、孤独な人が集まる場所だったと聞いた。

舎利弗よ、この仏の国は地獄・餓鬼・畜生という名さえないのだから、そのようなものもいない。『阿弥陀経

地獄というのは孤独なんだと、呼んでも返事がない、語りかける人もいない、と聞いてきた。孤独ということが地獄を生きることなら、打ちひしがれた孤独な人に語られる極楽はまさに痛みをとり安らぎを与えるものであったろうが、一見「天」という名の「地獄」に住む私には、なかなか安養の浄土(極楽浄土)はこいしからずそうろう。(ちょっと『歎異抄』の真似してみました♪)

こいしからず―恋しいものではない