引っ越しました

いろいろ考えた末、引っ越しました。

迷林遊林航海記 
http://meirin41.hatenablog.com/

よろしかったら遊びに来てください。

とはいえ、お通夜で話したこととか、法話の原稿できました、だとか
ここでしか表現できないこともあるはずなので、年に数回ここに書くかもしれません。

ブログが夏休みから止まっていますね、といわれてから幾日も経ってしまった。ツイッターフェイスブックミクシィ、いろいろ在籍はしているものの、パソコン起動さえしない日も多く、流行りのラインに手が出ない。とはいえ、それなりに忙しく生きてはいます。時間ができたら恩師に香典を持っていきたい。「もうひと山終わらせてから」なんて思っていたらすっかり時間が経った。年内には必ずいく。
灯油を400L買った。ストーブをつけてこたつでパソコンする季節になってきたのだ。たくさんうれしいことがあったから、これから少しずつ書こうと思う。
11月2・3日と近くのお寺の報恩講法話を頼まれた。初めて「私、明日話をするからよかったら聞きに来てください。」と誘った、今年から入寺した若い夫婦が聞法に来てくれた。うれしくてうれしくて、涙が出るほどだった。家族の一人一人に何度も話してしまった。いつもは疎遠な母にも、である。法礼をいただいた昨日は、それを持って、母と娘と3人で8番ラーメンでプチ打ち上げをした。ローソンでハーゲンダッツのアイスを買って分けて食べて、430円のお風呂も行ってきた。それくらいうれしかった。
尊敬するK先輩にもうれしくて話したら、「それはいいことですね、同朋会ですね。私たちの若い頃は、浄専○の前住が若手を集めて勉強会を開いてくれたんですよ、会費○○円でね、講師代は絶対要りませんとおっしゃるからね、たまったら皆でお食事付きの同朋会をやったんです。」
20年前、大谷専修学院を卒業してすぐにK先輩に勉強会に誘ってもらった。今になって思えば組で推進員養成講座があったのかもしれない。一区切りして会は終わったけれど、K先輩が21歳の私を誘ってくれたのは、育ててくれた先輩の姿があったからだと思う。
若手の勉強会、隣の住職が亡くなってから休んでいる村の同朋の会を復活させて、若手の勉強会を兼ねようか。もちろん坊守も参加してもらう。ここが大事。簡単じゃないけどね。でも子ども報恩講を復活させたんだから、いけるかも。
41歳になるのを心待ちにしていた。29歳の時も35歳の時もそうだったように。なぜ41歳かというとバカボンのパパみたいに鼻毛がでてステテコで腹巻きにハチマキしてるジジィになるとなんか変わる気がしていた、なにかわかる気がしていた。35歳から生えてきた白髪もすっかり増えてきて、娘の黒い服に長ーく一本ひっついていたのには、ちょっとショックだった。白髪の数だけわかったことがあるとは言えないけれど、年とるのも悪くない。

ナビはいらない

親愛なる先輩がいった。「君、敦賀駅から8号線を30分も逆方向に走ったら長浜に行ってしまうよ、ナビを買った方がいいよ。」
私はこたえた。ナビは絶対要らないの。知ってるところ以外は走らないし、用があっていくなら必ず事前にネットで調べていくし、スマホだってある。一度行ったところはたいてい覚えるし、今回は間違えたけれど、もう覚えたから大丈夫。第一、出不精で、じっと自分の部屋にいるのが好きだから。
ナビには頼りたくない。ナビに遠回りさせられたくないし、何より覚えないし、迷って嗅覚をはたらかす楽しさもない。
今日は親鸞聖人の御正忌、美川の寺の御正忌の法話へ。今回で4年目。建物が密集しているので、近年、目的地ほんの間近になって間違えることもあったが、そうやって迷ったからこそ、寺の周りの風景に出遇い、8号線の距離を把握し、しっかり覚え、裏道なども見つけた。見落としがちな曲がり角で写真を撮ったこともある。今年は最短最速コースで到着。
ナビはいらない。自分の進む道は自分で選びたい。迷ってもいいから。

子どもの三帰依文

夏休み、ラジオ体操の後、今年も小学生の子どもたちと正信偈の練習をしています。一年生以外はみんな上手で感心しています。二年生の女の子がおうちにある正信偈の本でも練習していることを教えてくれました。うれしいな。今年は久方ぶりに「子ども報恩講」を復活させます。
練習はまずはじめに念仏十回。その後、子どもの三帰依文、

ちかいのことば
わたしたちは
仏の子どもになります
わたしたちは
正しいおしえをききます
わたしたちは
みんななかよくいたします

それから正信偈同朋奉讃。その日によってパーリ語三帰依文、赤本にある歌、「弥陀成仏のこのかたは」飛び三首引などを練習します。今日は「恩徳讃」と、内陣の親鸞聖人や蓮如上人の絵像を見てもらって親鸞聖人の見分け方をお伝えしました。
明日使うように子どもの三帰依文をプリントアウトしようと思うのだけど、フォント60じゃ最後の「す」がA4におさまらない。「みんななかよくします」じゃだめだろうな。あらそういえば「わたくしたちは」だったかも。いいにくいな。でも訂正しなきゃな。

坊守会会計報告書を作成した。9月の総会までに会計監査のはんこをもらいにいく。前年度は、会計のはんこを押し忘れてしまったので、気をつける。
明日は坊守会学習会、阿弥陀経の練習。改めて学ぶことが多く、毎回楽しみ。残念なのは、祖母口伝のくせがしみついてること。十方微塵の和讃、なかなか修正が難しい。娘にもすでに伝授してるに違いない。

いさんで第28回全国小学生陸上競技交流大会の応援へ

かわいい姪が県代表になって、小学生陸上競技交流大会に出場することになった。いさんで応援に行くことになった。

日清食品カップ”第28回全国小学生陸上競技交流大会
2012年8月24日25日、神奈川・日産スタジアムで行われる。 
http://www.jaaf.or.jp/taikai/998/outline.pdf
日産スタジアムの新横浜駅からの経路、すごいくわしいの見つけました。
http://www.nissan-stadium.jp/access/map3.php
金沢からだと日産スタジアムまでJR利用で4時間半くらいで行けるようです。

大会が終わったら後泊プラスしてディズニーランドへ行く。私は法務とPTAの学校掃除があるので居残り。妹が「ハハはぁ、○○ちゃんおもしろーい(会えないのが)ちょっぴり残念…」とメールをくれた。おもしろかったかなぁ?
ケガには気をつけてね。

正信偈 源信

正信偈の訳を探していましたが、教科書「正信偈」(東本願寺発行)にあたることにしました。

源信、広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して、一切を勧む。
 専雑の執心、浅深を判じて、報化二土、正しく弁立せり。
 極重の悪人は、ただ仏を称すべし。我また、かの摂取の中にあれども、
 煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、
 大悲倦きことなく、常に我を照らしたまう、といえり。
(「正信偈」)

源信和尚は世尊が一代の間お説きくださったあらゆる教えを、念仏の中に広く開いて、いずれも一切の人々を安養の浄土にかえらしめるためのお骨折りであったと、ひとえに民衆を浄土へとすすめられました。その念仏を信ずるこころに、専ら本願一つに帰して、他の何ものにもゆるがぬ深い心と、すぐ他の行にうごきやすい浅い心との別を明かされ、一すじに本願信ずる人は真実の証を開く浄土に生まれ、他の行に心うごく人は、その自力懈慢のこころを教化せられるために設けられた仮(け)の浄土に生まれてとどまらねばならぬと、本願を軽んずるあやまちを正しく弁えさとらせて下さいました。
されば、極重の悪人よ、決定(けつじょう)して仏の名号を称すれば、仏は必ずおさめとられる、この源信も、また、共に彼(か)の仏の摂取の光明の中にある。さりながら、煩悩に眼をさえられてみたてまつることはできないけれども、大悲はものうきことなく、この鈍根の私を常に照らしまもられているのであると、おしえはげまして下さったのであります。
正信偈東本願寺出版部発行 編集教学研究所

教科書が難しい。
短い言葉でかちっと表現されていることを、わかりやすいように言いかえることの難しさを思う。お講で話すから自分がわかる言葉にしたいのだが、下手したら聞いてもらえなくなりそうだ。蓮如さんの正信偈大意がわかりやすい

正信偈大意】
源信広開一代教 偏帰安養勧一切」というは、楞厳の和尚はひろく釈迦一代の教をひらきて、もっぱら念仏をえらんで、一切衆生をして西方の往生をすすめしめたまうなり。 「専雑執心判浅深 報化二土正弁立」というは、雑行雑修の機をすてやらぬ執心あるひとは、かならず化土懈慢国に生ずるなり、また専修正行になりきわまるかたの執心あるひとは、さだめて報土極楽国に生ずべしとなり。これすなわち、専雑二修の浅深を判じたまえるこころなり。『讃』にいわく、「報の浄土の往生はおおからずとぞあらわせる 化土にうまるる衆生をば すくなからずとおしえたり」といえるこころなり。
正信偈東本願寺出版部発行 編集教学研究所
http://www.icho.gr.jp/seiten/html/757.html

雑行雑修の機をすてやらぬ執心あるひとは、かならず化土懈慢国に生ずるなり、
専修正行になりきわまるかたの執心あるひとは、さだめて報土極楽国に生ずべし
これすなわち、専雑二修の浅深を判じたまえるこころなり。
専修は深く、雑修は浅い。

源信大師   不釈文 十首
1 源信和尚ののたまわく
 われこれ故仏とあらわれて
 化縁すでにつきぬれば
 本土にかえるとしめしけり


2 本師源信ねんごろに
 一代仏教のそのなかに
 念仏一門ひらきてぞ
 濁世末代おしえける


3 霊山聴衆とおわしける
 源信僧都のおしえには
 報化二土をおしえてぞ
 専雑の得失さだめたる


4本師源信和尚は
 懐感禅師の釈により
 処胎経をひらきてぞ
 懈慢界をばあらわせる


5専修のひとをほむるには
 千無一失とおしえたり
 雑修のひとをきらうには
 万不一生とのべたまう


6報の浄土の往生は
 おおからずとぞあらわせる
 化土にうまるる衆生をば
 すくなからずとおしえたり


7男女貴賎ことごとく
 弥陀の名号称するに
 行住座臥もえらばれず
 時処諸縁もさわりなし


8煩悩にまなこさえられて
摂取の光明みざれども
 大悲ものうきことなくて
 つねにわが身をてらすなり


9弥陀の報土をねがうひと
 外儀のすがたはことなりと
 本願名号信受して
 寤寐にわするることなかれ


10極悪深重の衆生
 他の方便さらになし
 ひとえに弥陀を称してぞ
 浄土にうまるとのべたまう
  已上源信大師

専雑の得失、専の難しさ

おおよそ浄土の一切諸行において、綽和尚(道綽)は「万行」(安楽集)と云い、導和尚(善導)は「雑行」(散善義)と称す、感禅師(懐感)は「諸行」(群疑論)と云えり、信和尚(源信・往生要集)は感師に依れり、空聖人(源空・選択集)は導和尚に依りたまうなり。経家によりて拠りて師釈を披くに、雑行の中の雑行雑心・雑行専心・専行雑心なり。また正行の中の専修専心・専修雑心・雑修雑心は、これみな辺地・胎宮・懈慢界の業因なり。かるがゆえに極楽に生まるといえども、三宝を見たてまつらず、仏心の光明、余の雑業の行者を照摂せざるなり。仮令の誓願、良に由あるかな。 (教行信証・化身土 本p.343 )

正行の中の専修専心・専修雑心・雑修雑心は、これみな辺地・胎宮・懈慢界の業因なり。
極重の悪人は、ただ仏を称すべし。
「持ってるものを離せ」と急に言われるよう。もっともそうでないと執心から離れることができないのかもしれない。唯念仏、横超(おうちょう)